正直に書きます。私は一度、「この子が健常児だったらよかったのに」と思ってしまったことがあります。母親として、口に出してはいけない言葉だとわかっていました。それでも、心のどこかでそう願ってしまった夜が、たしかにありました。同じように思ってしまって、自分を責めている人がいるかもしれない。だから今日は、そのときの私のことを書きます。
「健常児だったら」と思ってしまった、あの頃
息子の発達がほかの子と違うかもしれないと感じ始めたのは、一歳半を過ぎたころでした。名前を呼んでも振り向かない。目が合いにくい。同じ月齢の子が当たり前にしていることが、息子にはなかなか難しい。
公園で楽しそうに遊ぶ親子を見るたびに、胸の奥がぎゅっとなりました。「どうしてうちの子だけ」。そう思ってしまう自分が嫌で、でも止められなくて。健診のたびに「様子を見ましょう」と言われ、不安だけが積み重なっていきました。
あのころの私は、息子そのものではなく、「みんなと同じであってほしい」という自分の願いばかりを見ていたのだと思います。
診断、そして療育センターへ
転機になったのは、よこはま港南地域療育センターを紹介されたことでした。専門の先生に発達の特性をていねいに見てもらい、診断がついたとき、正直ほっとした気持ちと、目の前が真っ暗になる気持ちが同時にやってきました。
「やっぱりそうだったんだ」という確認と、「これからどうなるんだろう」という不安。診断名は、わが子を否定する札ではなく、息子を理解するための入り口なのだと、頭ではわかっていても、心が追いつくまでには時間がかかりました。
そんなとき、先生にかけてもらった「お母さんの育て方のせいではありませんよ」という一言に、どれだけ救われたか分かりません。ずっと自分を責めていた私の肩から、すっと力が抜けた瞬間でした。
療育に通い始めてからも、すぐに気持ちが切り替わったわけではありません。それでも、息子の小さなできた瞬間を一緒に喜んでくれる先生たちがいたことが、私の支えになりました。
特別支援学級という選択
就学のタイミングで、通常学級にするか、特別支援学級にするかをずいぶん悩みました。「支援学級に入れたら、この子の可能性を狭めてしまうのではないか」。そんな思いが、なかなか消えませんでした。
就学相談で息子の様子を一緒に見てもらいながら、見学を重ねるうちに気づいたのです。大事なのは「どこに在籍するか」ではなく、「この子が安心して過ごせる場所はどこか」だということに。少人数で、その子のペースに合わせてもらえる環境のなかで、息子は少しずつ自分の表現を増やしていきました。
「健常か障害か」より大事だと気づいたこと
息子と過ごす日々のなかで、私の物差しは少しずつ変わっていきました。
「健常児だったら」と願っていたころの私は、ほかの子と比べることでしか、わが子を見られていませんでした。でも本当に見るべきだったのは、昨日の息子と今日の息子の差だったのです。
はじめて目が合って笑ってくれた日。指さしで「あれ」と伝えてくれた日。その一つひとつが、ほかの誰とも比べようのない、わが家だけの大きな一歩でした。健常か障害かという線引きより、この子がこの子らしく生きていけるかどうか。そちらのほうがずっと大切だと、ようやく思えるようになりました。
今、同じように揺れている人へ
もし今、「健常児だったら」と思ってしまって、自分を責めている人がいたら、伝えたいことがあります。
そう思ってしまうのは、あなたが冷たいからではありません。わが子の将来を本気で心配しているからこそ、出てきてしまう気持ちなのだと思います。その気持ちごと、まずは自分を責めないであげてください。
受け入れるというのは、ある日突然できるものではなく、行きつ戻りつしながら、少しずつ進んでいく過程です。私も、いまだに揺れる日があります。それでも大丈夫。揺れながらでも、子どもと一緒に歩いていけます。
まとめ
「健常児だったらいいのに」と願ってしまった私が、いま思うこと。それは、息子は息子のままでいい、ということです。比べるのをやめて、この子のペースを見つめられるようになったとき、子育ては少しだけ楽になりました。同じように悩む誰かの、ひと息つくきっかけになればうれしいです。


